堀江隆臣・上天草市長『情報サイトばっ!記念すべき記事100本目は堀江隆臣・上天草市長にインタビューさせていただきました。地域への恩返しという熱い想いを胸に、人と自然が共存する上天草市の輝ける未来へ向けて。』かたりばvol.31

取材🎤文章💻:太田弘樹 (一部写真はご提供いただきました)
〇開設から早10ヶ月の情報サイトばっ!お陰様で100本目の記事です。
2025年7月27日に開設しました“情報サイトばっ!”。天草エリアに住む人々にスポットをあてた『人が主役の情報サイト』として、この地域に『暮らし、働き、育み、守る』人々の想いをご紹介しながら、『天草のファンを増やすきっかけのポータルサイト』になることを目指し、私・太田独自の視点で情報発信して参りました。アポどりから取材・写真撮影・記事原稿の作成・サイトへの掲載作業に至るまで全て一人で取り組んできたこの戦いが一つの節目を迎えます(笑)。お陰様で掲載記事が100本目となりました。これもひとえに取材にご協力いただきました皆様、そしてこのサイトを楽しみして下さっている方々のお陰です。ありがとうございます(^^♪

情報サイトばっ!ロゴ。シンボルである天草五橋、海をイメージしたデザインとなっています。
以前もお話しさせて頂きましたが、このサイトにはたくさんの笑顔が溢れています。十人十色という言葉があるように、取材したお一人お一人にそれぞれのドラマがあり、想いが溢れていました。そこに人の想いがある限り、希望が生まれ、道が開ける。天草の魅力と言えば、“豊かな自然・気持ちいい温泉・美味しいグルメ”ですが、私がそこに是非とも加えたいのが“天草で暮らす人々”のあふれんばかりの魅力です。まさに「人は宝なり」です。この地域の未来はきっと明るいはず、だってあんなにも生き生きとした人生を送っている素敵な笑顔の皆さんがたくさんいらっしゃるのですから!ちょっと前置きが長くなってしまいましたが(笑)、記念すべき100本目となる記事は、我らが「堀江隆臣・上天草市長」にインタビューをさせていただきました。

〇バブル崩壊、アメリカ放浪、父親の病気―全てが今につながっている。
1967年5月24日、瓦業を営む堀江家4人兄弟の長男としてお生まれになった堀江隆臣さん。そう今日は59回目のお誕生日です。おめでとうございます🎉。海に面した港町・姫戸町で小・中学校、高校は八代高校にご進学。そして大学は、福岡の北九州市立大学で商学科をご専攻なさいました。
『大学時代、酒の席で親父と大喧嘩しまして(笑)。「これからの時代、瓦屋さんはもう成り立たない」とつい口にしてしまい・・・、父親とはしばらく絶縁状態になってしまいました。本当はいつか帰るつもりだったんですけどね。』

大学卒業後、ハウスメーカーにご勤務された堀江さん。入社2年後にバブル経済が崩壊し、社会は一変。
『土日も休みなく夜遅くまで働く日々が続きました。仕事はハードで大変ですし、理不尽だなぁと思うことも多かったのですが、社会人としての“学びや経験”がたくさん詰まった6年間だったと思います。』
縦や横の関係、仕事の進め方や会社内での立ち回り方、やりがいや達成感など社会人として必要な事を身につけるいい機会だったそうで、今でも当時の同期たちとは連絡を取り合う仲だそうです。新しく入庁する人達にはその時の経験談を必ずお話になるという堀江市長ですが、そのサラリーマン時代、ある大きな人生の転機が訪れます。
〇50万円を握りしめ―アメリカ一人旅が教えてくれた"開き直る力"
お父様の病気の知らせを受けた堀江さん。会社を辞め、家業を継ぐため故郷に戻る決意をされました。
『実家で仕事をする前に、退職金50万円を握りしめて、たった一人でアメリカ大陸一周の旅に出かけました。サンフランシスコから南下してメキシコへ。そして東海岸を巡りながらカナダまで足を延ばしました。最初にバス乗り放題券を2ヶ月分購入して、“地球の歩き方”という本を片手に、バックパッカーとして旅して回りました。』

行き当たりばったりの旅。宿が取れない夜は夜行バスに乗る。時には4〜5日お風呂に入れないままバスで移動し続けたことも、暗闇の中で『地球の歩き方』を広げて途方に暮れた夜もあったそうです。『人は追い込まれると強くなるんです。“開き直り”って大事なんですよね。』と笑いながら話す堀江市長。最終的にはバックパックを枕に、待合室でイビキをかいて寝るほどのたくましさを身につけたそうです(笑)。結局2ヶ月半のアメリカ一人旅。この経験で培った「何とかなる」という精神は、後の市政運営にも通じる“胆力”にもなったそうです。
〇地域への恩返し――政治家としての自覚が芽生えたあの日。

家業を継ぎ、地元での生活をスタートさせた堀江さん。その2年後、お父様は他界。そんな堀江さんのことを地元の人々は温かく迎え入れて下さったと言います。
『帰ってきた私の事を歓迎して頂き、支えて下さいました。その皆様の期待に応えたいと思いました。』
姫戸町議会議員を務めていたお父様の意思を受け継ぎ、さらには「地域への自分なりの貢献ができれば」と出馬を決意されたのが、後の政治家・堀江隆臣さんの原点だそうです。2004年、合併により上天草市が誕生。上天草市議会議員となり、2009年には市議会議長にも就任されます。市議3期の経験を積んだ後、2014年12月の市長選挙に出馬され、初当選を果たされます。瓦屋の長男として生まれた堀江さんが、大企業のサラリーマン時代にはバブル経済や崩壊を経験され、バックパッカーとしてアメリカを一周した放浪旅では“生きる胆力”を身につけ、尊敬するお父様との悲しい別れを乗り越えながら受け継いだ家業、故郷への恩返しをしたいという想いから歩み出した政治家への道。これまで経験された全てのものが糧となり、堀江市長の現在へとつながっているように感じられます。


〇人と自然が共存する上天草の未来へ。
現在3期目を迎えた堀江市長が見据えているのは、上天草市の持続可能な明るい未来です。雲仙天草国立公園70周年という節目を迎えたこの地域について、こんなお話をなさいました。
『天草の自然やロケーションは本当に素晴らしいものだと感じています。でも正直、その魅力をまだまだ活かしきれていないのでは?とも思っています。国立公園であるこの地域の豊かな自然、文化や営みを含め、もっと気軽に楽しんでもらえる様な方法を私たちみんなが知恵を出し合って進めていく事が大切なんです。同時に私がそうであった様に、若者が上天草市外に出ることを妨げてはいけないと思います。むしろ外に出ることで得ることがたくさんあると感じているんです。そんな若者達がこの地域にいつか帰ってこられる環境、地域として受け入れることができる土壌づくりこそ力を注ぐべきではないかと私は強く感じています。』

「人と自然の共存」をテーマに掲げ、天草地域の玄関口として関係人口を増やしながら、市内外の人々も街づくりに参加できるような仕組みを模索している堀江隆臣・上天草市長。時代の変化は目まぐるしく早い・・・。だからこそ外からの視点を取り入れ、開かれた街づくりが必要だとご自身の経験から考えていらっしゃいます。故郷を出て、世界を見て、そしてふるさとへと帰ってきた男・上天草市長の堀江隆臣さん59歳。その人生そのものが「上天草を出て行っても戻って来やすい、帰りたくなる町づくり」という今の想いを体現しているように感じられます。堀江市長のふるさとへの恩返しの旅は、まだまだこれからも続きます。



写真・記事の無断転載はご遠慮ください。
【サイトポリシー】