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若柳慶凛さん 若柳流壽慶會 総師範『熊本地震やコロナ禍で失った家や舞台。舞うことでつながった総師範への道。上天草生まれの少女が花開かせた日本舞踊家としての輝き。』かたりばvol.29 

2026/5/3

かたりば

若柳慶凛さん 若柳流壽慶會 総師範『熊本地震やコロナ禍で失った家や舞台。舞うことでつながった総師範への道。上天草生まれの少女が花開かせた日本舞踊家としての輝き。』かたりばvol.29 

取材🎤文章💻:太田弘樹(写真はご提供いただきました)

〇上天草市松島町出身の日本舞踊家 若柳慶凛さん。

上天草市松島町出身の日本舞踊家 若柳慶凛(わかやぎ かりん)さんこと、本名・汐見香林さん。私が初めてお会いしたのは、上天草市制施行20周年記念式典のオープニングアクトでした。舞台上で輝きを放つその艶やかな踊りに会場内がすっかり魅了され、式典の始まりに素敵な華を添えて頂いたことを今でも鮮明に覚えています。現在、彼女は東京で歯科衛生士として働きながら、若柳流壽慶會の総師範として、国内のみならず台湾にまで活動の場を広げていらっしゃる今注目の舞踊家です。そんな彼女の原点は、故郷である上天草の温かい人々に支えられた幼少期にあると言います。

若柳慶凛の名取をした時のお披露目「鷺娘」

総師範になられた時の長唄連獅子のお姿

〇日本舞踊をやってみたいと心が動いたあの日。舞台で踊る姿がおばあちゃん達の「いきがい」となり、温かい拍手と声援が踊る原動力となった。

慶凛さんが日本舞踊を始めたのは、小学3年生のときでした。ピアノや習字などさまざまな習い事に挑戦しましたが、どれもあまり上達はしなかったそう。そんな時すすめられたのが、母親が好きだった日本舞踊でした。最初は流行りのダンスに興味があって日本舞踊に対してはあまり乗り気ではなかったそうですが、自分よりもちょっと年上のお姉さん達が美しく舞う姿を見て「自分もやってみたい。」と心が動いたそうです。

『舞台に立つのが楽しかったですね。ちょっと芝居仕立ての振り付けとかもあって、おばあちゃん達がとても喜んでくれて。「慶凛ちゃんの踊りを観るのがいきがい」と言って、応援して下さったんです。』

慶凛さんの舞台がある度にバスを貸し切って、どこにでも応援に駆けつけてくれたおばあちゃん達。その温かい拍手と声援が、何よりも幼い頃の慶凛さんの踊りへの情熱を育てる原動力となったそうです。熊本に演歌歌手が来る度にバックダンサーとして踊る機会にも恵まれたそうで、丘みどりさん、北山たけしさん、小金沢昇司さんなど、プロの舞台で数々の経験を積まれましたが、しばらく踊りから遠ざかった時期もありました。

小学校3年生の時から日本舞踊を習い始めた慶凛さん

鹿児島で開催された九州ジュニアコンクールで優勝、オーディエンス賞でも優勝とダブル受賞された。

天草から応援して下さる大好きな皆さんの声援が力になります

〇家も、居酒屋も、日常も。全てが崩れた熊本地震。さらに舞台から遠ざけたコロナ禍。

高校卒業と同時に家族で熊本市へ。熊本歯科衛生士専門学院で3年間学んだ後、歯科医院でご勤務されます。お昼は歯科衛生士としてチーフを務め、夜は父親が営む居酒屋を手伝う二刀流の日々を過ごす慶凛さんを突然襲った熊本地震。自宅も居酒屋も全壊。日常の全てが音を立てて崩れ落ちました。

『地震から2年後だったかな。「もう自分のやりたいことやっていいよ」って家族が言ってくれたんです。その言葉が私を後押ししてくれて「一度きりの人生、本格的に日本舞踊を学び直したい」って想い、東京へ出る決心をしました。』

胸の奥でくすぶっていた炎が再び灯った瞬間でした。その決意が彼女のその後の人生を大きく動かす事になります。そして24歳の時、慶凛さんは東京へ。若柳流壽慶會の五代目である若柳慶次郎先生へ師事することになります。長崎の壱岐出身の師匠とは同じ九州人同士でもあり、先生の人柄と素敵な振り付け、そして丁寧なご指導を受け、是非とも慶次郎先生に習いたいと強く思われたそうで、以来、“歯科衛生士と日本舞踊家”という二足のわらじを履きながら、師匠の下、着実に技術を磨かれました。

師匠と一緒に。右が若柳慶次郎先生、左が若柳慶凛さん

〇舞えば、つながる。天草から東京、そして台湾へ。

『コロナ禍でしばらく舞台に立てない時期もあったんですが、そんな中、始めたのが日本舞踊のYouTube配信だったんです。日本の方はもちろん、海外の方からも反響が大きくてビックリしました。舞台ができなくても見てくださる人がたくさんいらっしゃるという実感が持てましたし、「よし!踊り頑張ろう」って思うことが出来ました。』

この配信がきっかけで台湾とのつながりが生まれ、現在は台湾支部もできて、慶次郎先生とご一緒させてもらい指導の勉強もしています。

YouTube配信を始めたことで台湾とのつながりができました。

慶次郎先生とご一緒させてもらい指導の勉強もしています。

タイでのジャパンエキスポにて。

熊本地震やコロナ禍で遠ざかりそうになった時期もありましたが、踊りに対する強い想いは消えなかったという慶凛さん。そんな彼女の踊りを一番近くで支え、応援してくれたお母様の愛情が、慶凛さんを舞踊の世界へと再び導き、今へとつながる道が開けました。そんなお母様をはじめ、小さい頃から自分を応援して下さった皆様には感謝の気持ちで一杯だそうです。

『今の目標は、来年に控えているリサイタル公演を大成功させることと、台湾での公演を実現すること。そしていつかは故郷・天草の舞台に立ち、成長した今の私の踊りを皆さんに見ていただきたいと思っています。ほんと小さい頃から応援して下さっているたくさんの方々が天草にはいらっしゃるので。近い将来、必ず開催しますので今しばらくお待ちください。さらに大きくなって故郷に帰ってきますので、これからもどうぞ応援よろしくお願いします。』

上天草市出身の日本舞踊家・若柳慶凛さん。ふるさとの温かな応援を受けて舞踊の道を進み、熊本地震やコロナ禍という大きな困難を乗り越えながら、東京を拠点に総師範として輝きながら活躍の場を広げていく彼女の歩み。そこには支えてくれたご家族や故郷への感謝の気持ちが溢れていました。「舞えば、つながる」。若柳慶凛さんの活躍をこれからも故郷から力いっぱい応援しています!(^^)!

いつも近くで支えてくれたお母様と一緒に

120年続く関東の郷土会「東京天草郷友会」の皆様からも応援して頂いています。

若柳慶凛さんのインスタはこちらから👇

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かりんチャンネル(かりん) - YouTube

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