雄和海運 浦山秀大社長『知って欲しい、この町にある日本屈指の船舶の仕事について。海を走り、未来を拓く―24歳で舵を握った三代目・浦山社長のあくなき挑戦―株式会社 雄和海運 代表取締役社長 浦山秀大さん』かたりばvol.33

取材🎤文章💻撮影📸:太田弘樹(一部写真はご提供いただきました)

熊本県海運組合理事長であり、株式会社雄和海運の浦山秀大社長
〇1800年代頃から始まった海運業。上天草は日本屈指の船舶の町。

1957年(昭和32年)頃の上天草市(天草市立天草アーカイブズ提供)
周りを海に囲まれた天草地域。その海運業の歴史は古く、今から200年以上前の1800年代頃にまで遡るといいます。橋のない時代の唯一の交通・輸送手段として島と島、港と港を結び、人や物を運んでいた船。私の故郷・阿村地域も古くは一大産業であった塩の積み出しをするため栄えたのだとか。親父も船乗りでしたし、親戚や同級生などの多くが海運業を営む環境で生まれ育った私にとっては身近であった船のお仕事。皆さんはご存じだったでしょうか?この上天草は海運業がとても盛んな日本屈指の船舶の町だったということを!この地域にとって“海運業は全国に胸を張って誇れる一大産業”なのです。今回のかたりばは、そんな海運業界歴27年、熊本県海運組合理事長であり、株式会社雄和海運の代表取締役社長・浦山秀大さん(51歳)にお話を伺いしました。

雄和海運が所有する約2507トンの貨物船さくら。所有船3隻、マンニング船4隻。
〇大学卒業後から始めたこの仕事。一隻から七隻へ、夫婦二人三脚で紡いだ27年。
私が住む上天草市松島町阿村は、全国でも有数の“船所(ふなどころ)”と呼ばれる海運業が盛んな場所です。そんなこの地域で祖父の代から海運業を営むのが、株式会社雄和海運の代表取締役社長・浦山秀大さんです。
『太田さん剣道部でしたよね⁉一緒に練習した記憶があります。遊んだこともあるんじゃないですか⁉』
懐かしい地元トークから始まった今回の取材。熊本県海運組合・理事長であり、株式会社雄和海運の浦山社長と、まさかそんな接点があったとは存じ上げませんでした。同じ阿村出身で良かった~(^^♪。浦山家の長男として誕生され、小・中学校時代は当時全国大会に行くほどの強豪だった剣道部で心身ともに逞しく成長されます。より高みを目指して熊本市内の高校、さらには神戸大学(旧・神戸商船大学)に進学されて、船舶について学ばれました。

大学時代での船舶実習時代の写真。
『外国航路の大型客船で世界の海を渡るのが夢だったんです。親からは“自分の好きな道に進んでいいよ”って言われていましたし、当時はまだ跡を継ぐことなんて考えてもいませんでした。大学卒業直前だったかな、父親が大病を患ってしまいまして。急遽、地元に戻って家業を継ぐ決意をしました。』
卒業して3ヶ月後、お父様は52歳という若さで他界。浦山さん24歳の時でした。船舶に関する知識や技術は大学時代に習得済でしたが、かたや経営のノウハウ、取引先との人間関係などを引き継ぐにはあまりにも時間が足りなかったそうです。一緒に働いていた叔父の助けを借りながら、文字通り手探りの船出となりました。当時を振り返って、浦山社長はお話しなさいます。

『全てが大変だったですね。会社経営や取引先との関係性など分からないことだらけで。海の上では叔父の助けを借りながら働く日々、陸では妻が経理や手続き作業などを担当して会社を支えてくれました』
当時はわずか一隻のマンニング(船を借り受けて運航する形態)で、6人の乗組員と海に出る日々。“いつ仕事を切られるかわからない”という危機感から、35歳頃より経営の安定化を目指して船の数を増やし始めたそうです。自ら船に乗り、実績や信頼を勝ち取りながら徐々に船の数も社員数も増やし、現在では貨物船6隻とコンテナ船1隻の計7隻を運航する会社へと成長、社員は60名を数えます。

結婚26年、高校時代からのお付き合いの仲睦まじい浦山さんご夫婦。雄和海運創成期の頃から苦楽を共にしてきた奥様のこずえさんは、浦山社長についてこうお話しなさいます。
『とにかく仕事熱心です。沸点が高く、常に穏やかな雰囲気で、淡々と仕事をこなす人。そういう意味では“仙人”みたいな人です(笑)。今は海運業界全体の未来ため各地を忙しく動き回って仕事しています』
海と陸とで支え合いながら共に歩んできた25年。そんな奥様をはじめ、あの時助けて下さった叔父様、ご親戚、同業者の皆様には今でも感謝してもしきれない程のお気持ちで一杯だとお話になる浦山社長。
〇現役船員の4割が60歳以上という現実。知られざる海の仕事の普及に向けて。

海を渡り、人生を拓く。船から見える素敵な海景色はこの仕事の魅力の一つ。
現在、海運業界は慢性的な船員不足に直面していると言います。業界全体でおよそ2万人、そのうち現役船員の約4割が60歳以上だそうです。年間800~900人が新たに船員として働き始めるものの、年齢的に仕事を辞めていく人の数が今後はさらに増えていくという傾向にあります。

『船員のなり手不足の最大の原因は“そもそも船の仕事を知らない”という事です。この上天草でも阿村では身近な仕事ですが、合津や大矢野になると極端に知っている人が少ない。そこを何とかしたいです。』
そう力強くお話になる熊本県海運組合理事長でもある浦山社長。阿村地区だけで20~30社、県海運組合にはおよそ70社が加盟する規模を誇るまさに船の町。“広島の呉、徳島の阿南、愛媛”と並び、全国的にも“船所(ふなどころ)”として知られる熊本・上天草だからこそ、現在特に力を入れているのが海運業の魅力を幅広い世代に伝える活動です。SNSを積極的に利用して情報発信したり、小学生の見学受け入れや職業体験イベントへの出展、さらには船舶免許費用を負担する奨学金制度の創設など、浦山さんの活動は自社の枠を超えて、業界全体の未来を見据えて動いていらっしゃいます。
『熊本・天草の船主はとても元気で勢いがあるんです。この動きを全国的に広めていきたいですね。』

最新鋭設備が整った快適な職場環境。資格があれば定年がないのもの魅力の一つ。

休暇も多く・給料も高め。最近では50歳代の転職者の増えてきているそう。
そんな浦山社長を始め業界全体で取り組むPR効果が着実に成果として表れ始め、ここ数年は、毎年200人近くが他業種からの転職者だそうです。中には50代で海の世界に飛び込む人もいるとか。
『資格を取ってしまえば、体が元気な内はずっと働ける、いわゆる定年のない仕事なんです。資格がない状態の乗り出し給与が月25万円前後、資格を取って2~3年後には40万円に届く人もいます。』
雄和海運では2ヶ月乗船して20日間の休暇が基本で、各港では週一回の休みもあるそうです。昔と違って船内の個室はきれいですし、環境としては“至れり尽くせり”な感じ。お話を聞けば聞くほど、私も船員になれば良かったと本当に思ったくらいです。まだ間に合いますかね?浦山社長(笑)。
〇“離れる寂しさと会える嬉しさが感じられる”海の仕事。
『仕事の魅力ですか?“家族と離れる寂しさと、次に会える嬉しさ”を感じられるのが最大の魅力ですね』
笑顔でお話になる浦山社長。船に乗り、海で生きる男の前向きな覚悟を表すような深い言葉ですよね。ちなみに長男さんは大手船舶会社への就職が決まったそうです。祖父が始め、父親が育て、自らが拡げ切り開いてきた海運業としての軌跡、そんな浦山家が紡いできた“船乗りとしての想いや海運の町としての誇り”は、これからも次の世代へとずっと受け継がれていくのでしょうね⁉
“離れる寂しさと会える嬉しさが感じられる海運業の仕事”
海の男たちが知るこの魅力溢れる感覚を、もっと多くの人に届けたいー。上天草の港から浦山秀大社長の挑戦はこれからも続きます。



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